ヨガ,ホットヨガスタジオのインドヨガカレッジ,Yoga College of India Tokyo

ホットヨガを広めたインドヨガカレッジ校長ブッダデブチョードリーとは

日本のヨガ文化普及のなかで、歴史あるインドヨガカレッジ(当時の名称は『ヨガ印度学園』)を1971年の来日以来、指導・監修してきた校長のブッダデブ・チョードリー師のヨガを通じて現在に至るまでの紹介です。

■Budhadeb Chaudhuri /ブッダデブ・ョードリー

ブッダデブ・チョードリー先生顔

インドのコルカタ(旧:カルカッタ)生まれ。
幼い頃から兄ビクラム(ビクラムヨガ“HOT YOGA”の創始者)とともに、当時インドで最も有名なヨーギーのひとりである、ビシュヌ・ゴーシュに師事してヨガをを学ぶ。
Ghosh's College of Physical Education 卒業後、ヨーロッパなど海外でヨガを指導。1971年に来日。兄が開校したヨガの日本校を引き継ぎ、日本においてのハタ・ヨガの普及に36年以上もつとめている。
いつも元気で明るい性格は多くの生徒を魅了し、TVや雑誌などのマスコミでも多数紹介されています。


1971年のブッダデブチョードリー先生のヨガポーズ

私とヨガとの出会い…

私は未熟児で生まれました。お医者さんには長く生きられないと宣告され私の両親はとてもショックを受け、空気のきれいな山の別荘に私を送りそこで幼少期を過ごしました。4歳まで歩く事も、しゃべる事もできなかったそうです。

その後、別荘の周りの素晴らしい自然環境と良いお医者様にも恵まれて健康を取り戻しつつありましたが、病弱だった私は周りのみんなから大事にされすぎて、いつもおいしい食べ物をたくさん与えられました。その結果、肥満児になってしまい動く事が億劫で大キライになりました。

そんなある時、その村のお寺のお坊さんを私に紹介してくれた人がいました。お寺に遊びに行くと、お坊さんが変な動きやポーズをとっていました。それが、はじめての私とヨガの出会いでした。好奇心から、見様見真似でお坊さんのポーズを真似して遊んでいました。とても楽しかったので、毎日のようにお寺に遊びに行ってはお坊さんからポーズを教わったりしているうちに、気が付くと、肥満が解消され身体の調子も良くなりました。子供だった私でもヨガはとても良いと感じました。


ビシュヌ・ゴーシュ師匠との出会い…

私は小学校に入学するため、山の別荘を離れ生まれ故郷のカルカッタ(現在はコルカタ)へ戻りました。
それから、私と兄は当時インドで最も有名なヨギーの一人、ビシュヌ・ゴーシュ師匠の学校でヨガを学びはじめました。私達の師匠のお兄さんはヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師として広く世界に知られているパラハマンサ・ヨガナンダです。

私の師匠はとても楽しくて、面白くて、頭が良くて、やさしい人でしたが、時には厳しく叱咤(しった)くださいました。私は師匠が大好きでとても尊敬していたので、一生懸命ヨガの練習をしました。

すっかり健康で元気になった学生の頃の私は、ヨガだけではなく、いろいろなスポーツにチャレンジしました。サッカーや陸上、特にウエイトリフティングに熱中し全インドで3位の成績を修めました。

私はカルカッタにある師匠の大学(Ghosh's college of Physical Education)に進みヨガや人間の精神や身体の仕組み、歴史などを学びました。


ヨガの指導者になる…

記憶では、6、7歳の頃からビシュヌ・ゴーシュ師匠の学校で毎日毎日、ヨガを学んでいました。そして15歳の頃から指導者としてヨガを教えはじめました。学生の頃の長い夏休みなどはインド中へ、ホームステイや泊まり込みで指導に行きました。インドではヨガの先生を自宅に呼んでプライベートレッスンを受ける家庭教師スタイルが普通です。今でもそうです。

大学卒業後はインドを飛び出してヨーロッパや他の国でもヨガの指導をしていました。


そして日本へ…、それから現在…。今後、思うこと…。

1971年(昭和46年)10月20日、私は羽田空港に到着しました。すでに1年程前に来日していた私の兄ビクラムの表参道にあった学校を引き継ぐために私は日本へ呼ばれました。それから兄はアメリカへヨガを広めるために渡米してしまいました。
ひとり、日本に残された私は大変でした。まず日本語が話せないし、日本人の方も今のように英語が話せない。当時は駅の看板、道路標識がローマ字で書かれていなかった。インドレストランがない。インド人の私が食べられるものがない。お腹が空く。そして何より、日本の冬はほんとに寒くて辛かった。だからスタジオはヨガのポーズをやりすくするために自分の故郷カルカッタの様に高温、多湿にしていた。生徒さんたちは温かく、汗がたくさん出て気持ち良いと喜んでくれました。
当時、昭和40年代半ばの日本では
、ヨガを知っている日本人の方はほんとに少なく、生徒さんのほとんどが外国人の方でした。日本へヨガを普及させるのは大変なことでした。日本中、北から南まで、指導に駆ずり回りました。

来日から5年程でインドに戻るつもりでしたが、ある生徒さんにこれから日本でもっとヨガが必要となり普及するから頑張るようにと励まされその言葉を信じて頑張ってきました。気が付いたら、今では在日36年を超えてしまいました。その間、いろいろ大変なこともありましたが、わたしは自分のヨガは『イイ(良い)!』と自信を持っていたので信じて頑張ってきました。そして何より、私は良い人たちとの出会いに恵まれてここまでやって来れたと思います。

ヨガは心も身体も健康にしてくれる素晴らしいものです。イライラした気持ちやストレスも飛ばしちゃうから、世界中の人たちがヨガをやったらが平和になると思う。
インドでは学校や職場で朝一番にみんなでヨガをやってから仕事や勉強を始める。設備や環境は決して恵まれてないけどみんな明るくて元気だ。
日本でも会社や学校で朝からヨガすればいいのにね。